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ふらりと気の向くままに平日散歩 <亀戸編> 歴史を感じながら街を歩く

世界中を襲ったコロナ禍の影響のためか、今年は遠くにある観光地より身近な地域の良さをもう一度見直そうとする動きが見られるようになった。東京の下町観光も人気が出てきている。とは言いつつ、「東京の下町、下町」と、その土地の歴史と雰囲気をなんとなく、ふんわりと「下町」の一言で括ってしまっている気がするのは否めないところ。そんなことを感じている人には、街の歴史を調べることをぜひおすすめしたい。

身近にある街をいつもとは異なる視点を持ちながら巡り歴史の風を感じる、たまにはそんな散歩も新しい発見があって楽しいものだ。ほんのちょっとのことでいい。気張らずにちょっと視点をずらしてみるだけで、これまでとは違う何かを感じ取れる。一度ハマったらもっと知りたくなる、それが下町の魅力だ。

そこで今回は、東京都の中でも歴史を感じられる下町のひとつ、亀戸を紹介。江戸時代には参拝、行楽の人気地として有名であった亀戸は『江戸名所図絵』や浮世絵師・歌川広重最晩年の傑作『名所江戸百景』などの錦絵に描かれ、池波正太郎や佐伯泰英などの時代小説でも登場するのをよく目にする人もいるはず。大部分が江戸時代以降に埋め立てによって開発された江東区の中でも、墨田区に隣接する北端は江戸時代以前より村があった地域で、亀戸は江東区で最古の地名だという。

江東区教育委員会発行『下町文化』第137号によれば、応永5年(1398)8月に作成された葛西御厨田数注文(かさいのみくりやでんすうちゅうもん)という文書の一部に「亀津村」と記載されているのが最古の資料で、室町時代のはじめ頃までには村として成立していたと紹介されている。

亀戸は、亀戸駅から歩いて行ける範囲に見どころが集まっているのが特徴。亀戸七福神も歩いて2時間程度で全部をまわることができるから、日帰り散歩にはおすすめの街だ。ふらりと気の向くままに歩き、飾らない街の日常を楽しむ、それが平日散歩のいいところだ。

国立国会図書館『錦絵で楽しむ江戸の名所』



亀戸天神といえば藤の花の時季の美しいことは江戸の頃も有名で、天神の絵には藤が描かれている。秋は菊まつりで賑わう。菊もまた梅とともに菅原道真にちなむ花で、近年は本殿の正面を取り囲むように菊を展示している。
亀戸天神の縁起は、正保三年(1646)に菅原道真の末裔である菅原大鳥居信祐が神のお告げにより飛梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため諸国を巡り歩いて本所亀戸村にたどり着き、村の祠に神像を祀ったという。
明暦大火後、武家屋敷と寺社を本所の土地へと移転させようとする江戸幕府の働きがあり、天神様を篤く信仰していた四代将軍徳川家綱が社地の寄進をしたそうだ。太宰府の社にならって社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを整えたのは、寛文二年(1662)のこと。江戸一番の大きさを誇った亀戸天満宮は、九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」と呼ばれるようになった。
菅原道真と言えば学問の神様。江戸庶民の信仰を集め、現在においても受験祈願に参詣する人が数多く訪れる。
天神にある太鼓橋もよく題材として描かれる。フランスの印象派のクロード・モネが自邸内に造った庭に架けられた、有名な睡蓮の絵にも出てくる橋は、この太鼓橋を真似たものという(人文社『江戸切絵図で歩く 広重の大江戸名所百景散歩』より)。
1月24・25日に開催される、昨年の悪いことを嘘として吉運に変えるという「鷽替うそかえの神事」も有名だ。

東京スカイツリーが見事に見える亀戸天神は、藤の花が咲く季節は素晴らしい眺めとなる。
亀井戸跡

亀戸天神社
江東区亀戸3-6-1
kameidotenjin.or.jp/

亀戸天神のすぐ目の前にある「江戸そば にし田」。全てのそば粉を奉納してから打つ縁起の良い蕎麦は、毎日使う分だけを店内にある石臼で挽いている。各地をアクティブに訪れているそば職人の西田さんは元プロボクサー、後に寿司店修行という経歴の持ち主だ。

栃木県益子の農家直送の常陸秋そばを使用して打つにし田のそば。写真上は「天せいろ」 。
豚挽、海老、とろろをそばつゆで煮込んだ、とろっとした食感の「天神そば 」。
人気の「そば屋の本気プリン」。ほかにも「そばの刺身」や「紅生姜かきあげ」など気になるサイドメニューも。

江戸そば にし田
第一火曜日と毎週水曜日定休日、勉強会などによる臨時休業あり
(食べログ)
https://tabelog.com/tokyo/A1312/A131202/13101731/


古くから亀戸名物のお土産といえば、昔も今も“船橋屋のくず餅”。文化二年(1805年)創業の船橋屋のくず餅は、厳選された良質な小麦澱粉が原料。もっちりとした食感の白っぽい餅に、黒蜜ときな粉をかければいつの間にか完食してしまう。船橋屋亀戸天神前本店では、テイクアウトはもちろん、店内での飲食もOK。もし、店内喫茶スペースの奥にある中庭の席が運よく開放されていたら、ぜひ移動してみよう。抜けるような青空を見上げながら食べるくず餅は、また格別だ。

吉川英治の書による船橋屋の看板は店内で見ることができる。
趣のある中庭。開放されていない日が多いので注意。
文豪も足繁く通ったという船橋屋。木槽で450日もかけて乳酸発酵させてできるくず餅の消費期限はわずか2日。発酵槽で熟成を繰り返す植物性乳酸菌「くず餅乳酸菌®」は、「くず餅を食べるとなぜか調子が良い」という声から発見に至ったという。
戦前から販売開始され、現在ではくず餅と人気を二分するあんみつ。

船橋屋亀戸天神前本店
funabashiya.co.jp/


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龍眼寺 布袋尊 *亀戸七福神
応永二年(1395)創建、良博大和尚による開山。本尊の聖観音菩薩立像は宮内最古の仏像で、比叡山の修行を終えた良博大和尚が柳島の辻堂に泊まった際、お告げを受け授かったという。龍眼寺の名は、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなる眼病平癒の観世音として信仰を集めたことによる。寺の由来書によると、元禄時代に中興元珍大和尚が全国から数十種類の萩を集め、それが幾千株に達して江戸の名所となり「萩寺」と呼ばれたという。

秘仏が納められた本堂。庭には多くの句碑が並ぶ。

龍眼寺
江東区亀戸3-34-2
ryugenji.net/


昭和53年創業の甘栗専門店。焼き立てにこだわる「甘栗専門店 亀戸直売所 木守庵」は、有名百貨店にも認められた品質の良い甘栗を購入できると人気。店の奥にある釜でじっくりと焼き上げられた粒の大きい栗は、栗好きにはたまらない。

縁起袋の「勝栗」は中にお札が入っている。「茶色い袋の方が量が多いですよ。こっちでいいですか?」と親切に教えてくれたご婦人。ありがとうございます!

甘栗専門店 亀戸直売所 木守庵
江東区亀戸3-47-17
無休
https://grocery-store-273.business.site/

大正五(1916)年創業、亀戸十三間通商店街の角地に位置する「但元いり豆本店」。昔懐かしい雰囲気が溢れる店舗に、心落ち着く。気さくなご婦人が店に立つ姿は、元気をもらえるようでとてもいい感じだ。豆は25〜26種類(甘納豆の種類も数えると30種)を揃えており、気になるものばかり。量り売りでの販売。

上は人気のえんどう豆のいり豆。いい塩梅の塩味がくせになるいり豆は、ついポリポリと食べてしまう。
運がよければ看板猫ちゃんにも会える。この日、もう一匹の猫ちゃんはお休み中。

但元いり豆本店
江東区亀戸2-45-5 10:30〜20:30
木曜定休日
http://www.kame13.com/shop/tajimoto.htm

明治四十年創業の「大木屋」は、遠くに住んでいてなかなか来られないからと電話で取り寄せる常連客もいるという人気店。職人さんが焼いているせんべいを食べられるのは、なかなかないものだ。大木屋さんではせんべい焼き体験も行っており(要予約)、自分で焼いて食べられる。時間がない時は自宅でも楽しめるセットを買って持ち帰れば、いつでもOKだ。

お土産にも喜ばれる季節限定パック(左)は、いろんな種類を楽しみたい人にピッタリ。五角形の「合格煎餅」(右)は受験に縁起が良いと人気。
アイスがのっかったせんべいは、おしょうゆがアクセントになって美味い。

天神せんべい 大木屋
江東区亀戸2-8-5
月曜・火曜定休
インスタグラム https://www.instagram.com/ookiya_senbei/?hl=ja


香取神社 *亀戸七福神・恵比寿神、大国神
天智天皇の四年(665)に藤原鎌足公が東国下向の際に亀島に船を寄せて勧請したとされる。平将門の乱のとき、俵藤太秀郷が戦勝を祈り祈願成就。その後弓矢を奉納したとされ、祭事として毎年5月5日に「勝矢祭」が毎年行われる。古来より武運長久の神として、現在ではスポーツの神様として多くの人々が参詣に集まる。「香取神社御由緒記」によると、昔の亀戸は小さな島からなっており、島の形が亀に似ているところから亀島、亀津島とも呼ばれていた。区内で最も古い歴史を持つ香取神社は、入神明宮内から発掘された土錐を保管しており、この周辺が一番古い土地であることがわかる。本殿は戦災で炎上したため昭和23年社殿再建、昭和63年に現社殿建立。

香取神社本殿。白い石を拾って社務所に持っていくと、袋に入れてお守りにしてもらえる(有料)。
亀戸大根の碑。江戸東京野菜として登録されている亀戸大根は、文久年間の頃から香取神社周辺で栽培されていた。産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになったのは大正初期とのこと。

香取神社
江東区亀戸3-57-22
https://www.kameido-katori.com/

亀戸大根を食べることができる「升本」。「亀戸大根あさり鍋」「亀戸大根たまり漬け」など、亀戸大根を使った料理を提供。



社伝によると、享禄5年(1532)創建で、周辺新田開発の築堤の突端上に地元民が、水害除けのための水神を勧請したとされる。空襲で社殿は焼けたが、昭和35年に再建。石祠は宝暦12(1762)の再建。水神社(宮)を含めた周辺一帯は水神森と呼ばれた。

亀戸水神宮
江東区亀戸4-11-19


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亀戸天神とともに『名所江戸百景』に描かれている亀戸の梅屋敷。本所埋堀に住んでいた呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘で、「清香庵」と呼ばれ子孫の喜右衛門の頃には300株ほどを植え江戸中に噂が広まっていたそうだ。
庭園を訪れた水戸光圀はその梅の枝が龍のように地を這う様子をなぞらえて「臥龍梅」、鷹狩で訪れた八代将軍・徳川吉宗は「世継ぎの梅」と名づけたという。「清香庵」は安政の江戸地震で倒壊、明治43年の洪水による浸水で臥龍梅は枯れてしまったようだが、臥龍梅の様子は『城東区史稿 下[複製版]』に見ることができる。『広益国産考』によると、梅の実を梅干にして梅屋敷で売っていたようだ。『新編武蔵風土記稿』では梅屋敷の樹木が繁っている中に直径190cmの古井戸があり、これが村名の由来とされる。『再校江戸砂子校異』によれば昔からこの亀ヶ井の名前があり、そのために亀井戸、亀戸となったとも。昔、亀ヶ井という清水の湧き出た井戸があり、亀ヶ井のあった場所は亀戸天神とも梅屋敷ともいわれている。

梅屋敷跡の碑
かつての梅屋敷の敷地の中に位置する梅屋敷伏見稲荷神社。
かつて梅屋敷があった場所よりもっと街の中心に近い場所にある複合商業施設「梅屋敷」。観光案内や名産品販売、各種イベント開催など、江戸・下町情報を発信する観光スポットだ。限定品などを販売する「福亀館」、江戸切子ギャラリーや浮世絵サロン、多目的ホールなどがある。

梅屋敷跡 
江東区亀戸3-40、50~53付近
https://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/spot/97.html
亀戸梅屋敷
江東区亀戸4-18-8
https://kameido-umeyashiki.com/



昭和9年創業、老舗店の佐野味噌醤油店では「噌ムリエ」の資格を持つ味噌のプロが相談にのってくれる。毎月1日と15日には、「みその市」が行われる(店頭販売のみ)。本店奥の「味苑(あじえん)」は、こだわりの味噌と出汁の良さを知ってほしいとイートインで提供。

佐野味噌醤油店本店
佐野味噌店内。惣菜など商品が並ぶ。
江戸味噌を使用した味噌パン。

佐野味噌醤油店 亀戸本店
江東区亀戸1-35-8
12月31日まで休まず営業
https://sanomiso.com/

亀戸七福神は、昔は元旦から始めて1日に一か所まわるものといわれていたようだ。「江東おでかけ情報局」では、おすすめの七福神めぐりのコースを紹介している。

「江東おでかけ情報局」
https://koto-kanko.jp/theme/detail.php?id=TH00002

普門院 *毘沙門天
大永二年(1522)、武蔵国豊島郡石浜(荒川区)に創建と伝わる普門院。元和二年(1616)年に豊島郡橋場村から亀戸に移されたとのことで、その際に鐘が隅田川に沈んでしまい、鐘ヶ淵という地名の由来に(ほかに法元寺、長昌寺との説あり)。墓地には、歌人の伊藤左千夫や幕末の名横綱・秀ノ山雷五郎などの墓がある。弘法大師府内88か所の内40番札所。

普門院内毘沙門堂(亀戸七福神・毘沙門天)

普門院 
江東区亀戸3-43-3
https://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/spot/97.html


江東天祖神社(砂原神明宮) *亀戸七福神・福禄寿
江東天祖神社は、神社の由来書『天祖神社御由来略記(旧称砂原神明宮)』によると創建は推古天皇の時代、柳島村の総鎮守。『新編武蔵風土記稿』は、天正年間(1573~1592)に悪病が大流行し、織田信長が使いを送って奉幣し流鏑馬の行事を行わせると、霊験が顕れたと伝えられたとする。毎年9月16日に行われる「流鏑馬(現在はこども歩射)」は400年続く伝統行事。現社殿は昭和4年に日本最初の防災建築にて竣工、空襲では社殿のみが焼失をまぬがれ、都内では最古の防災社殿といわれる。

江東天祖神社
江東区亀戸3-38-35
http://www.tensojinja.com/

東覚寺 *亀戸七福神・弁財天
東覚寺の不動堂にある不動明王像は盗難・剣難除けの霊験があり、奈良東大寺の開山である良弁が相模大山寺を開基した後に自ら造ったものを渡されたという者の子孫である優婆塞(うばそく)が玄覚に与えたものという。明治34年に深川本町にあった覚王寺と合併、関東大震災、戦災と二度の罹災後、昭和26年~46年に本堂などを整備。平成24年に本堂・客殿等改修している。「御府内八十八ヶ所霊場」の73番目の札所。

東覚寺
江東区亀戸4-24-1

常光寺 *亀戸七福神・寿老人
江戸における3つの六阿弥陀詣のうちのひとつ「武州六阿弥陀参」の6番目の霊場。寺伝によれば、草創を行基とし、中興開山は勝庵(天文十三[1544〕年没)という。本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられている。霊夢によりお告げを受けた足立庄司従二位宰相藤原正成(あだちしょうじじゅうにいさいしょうふじわらのまさしげ)が、行基に霊木で六体の阿弥陀仏を彫ってもらい愛娘とその侍女を弔ったという悲しい縁起が涙を誘う。『新編武蔵風土記稿』では「本尊弥陀、行基の作にして長六寸許。脇立に観音勢至を安ず。これは六阿弥陀第六番にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多し。縁起あれど、世の知る所にして外に事実かはらざれば略す。」と記述。

常光寺
江東区亀戸4-48-3
http://joukou.sakura.ne.jp/


横十間川沿いの道にある亀戸銭座跡。芝網縄平(港区)にあったものを亀戸へ移行、寛文3年(1663)から天和3年(1683)まで、亀戸2丁目のUR都市機構団地のある付近で寛永通宝が造られ「亀戸銭座」と称した。亀戸銭座で作られたのもは、文の文字または十一波、二十一波のものがあり、文銭または波銭という。

亀戸銭座跡 
江東区亀戸2-6


「ふらりと気の向くままに平日散歩 <亀戸編> 喫茶店やベーカリー、商店街を歩く」はこちら
south65.jp/20201203kameido/

江東区公式ホームページ 文化・歴史
https://www.city.koto.lg.jp/bunkasports/bunka/index.html
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