釣り雑誌編集長が語る 水辺の四方山話
<第一回>渓流沿いの一軒宿 夜半の露天風呂で
僕は、自分の仕事のことを聞かれるのが大の苦手である。
「釣り雑誌の編集をしています」
と答えた後、必ず同じことを言われるからだ。
「趣味を仕事にできていいですね」
「あちこち出掛けられて羨ましい。美味しいものもいっぱい食べられるんでしょ」
確かに、この仕事を始めてから30年ほど、国内、海外を問わず本当にいろいろな場所を訪れたとは思う。だがそのほとんどを過ごしたのは、川や海、湖といった水辺であり、いわゆる観光地を訪れた記憶はあまりない。
例えば、北海道には毎年(コロナ禍のためここ2年は出掛けていないが)のように行っているけれど、札幌のビール園も富良野のラベンダー畑も、小樽の赤煉瓦倉庫街も見たことがない。行くのは常に『水のある場所』である。
また、魚たちは早起きだから、お店が開く時間にはいつも水辺にいる。朝食はいつもコンビニのオニギリで、昼もほぼお弁当。その土地の飲食店に入ることは極めて『稀』である。夕食のみ宿で取ったり、近くの飲食店に入るものの、翌日の朝が早いので、たいていは簡単に済ませてしまう。こう書くと、冒頭の言葉とはかなりかけ離れた生活であることがご理解いただけるかと思う。
それでも時には、幸福な体験をすることもある。一例を挙げるなら『温泉』である。僕が携わっているのは主に渓流釣りなので、山奥の一件宿やランプの宿など、普通はなかなか行くのが大変な場所も、通常の行動範囲内である。中には、車から数時間歩かなければならない場所にある露天風呂などに入ることもあり、その時ばかりは役得だと感じることもある。このコラムでは、そんな今までの長い記者生活で体験した、一風変わったエピソードなどを綴ってみたいと思う。
これは今から15年ぐらい前の話である。
その時僕は、とある山間の温泉宿に泊まっていた。そこは宿まで車で行くことはできず、麓の駐車場に停めて林道を歩くか、前もって宿のスタッフに迎えに来てもらうか、いずれにしてもアクセスが極めて悪いところだ。ただ、宿は渓流に面していて、川を望む露天風呂が素晴らしく、マニアの間でも有名な宿である。
よい魚も釣れ、翌日は朝がゆっくりということもあって、釣り人と一献酌み交わした後、寝る前にもう一度露天風呂に入りたくなった。川のせせらぎを聞きつつ、涼しい風に当たることで酔いも覚めるかと思ったのだ。
脱衣所で服を脱ぎ、湯船に浸かると、先に入っている人がいた。不思議なのは脱衣場にその人の服らしきものがなかったこと。湯煙でよく見えなかったのだが、「お邪魔します」と声をかけると「どうぞ」という返事。その声は紛れもなく女性のもので、僕は瞬時にバツが悪くなってしまった。
「どうもすいません。気づかなかったもので……」と僕。
「いえ、もう出ますので、ごゆっくり」とその女性。
「出る時は言ってください。下を向いていますので」
「ありがとうございます」
ほどなくしてその女性は湯船からあがり、脱衣場のほうに向かった。僕は下を向いてたが、その人が通りすぎる時、一瞬細い足首が見えた。モダンバレーのダンサーのように、つま先を立て、トン、トン、トンと去っていく足音が、僕の目と耳に残った。
翌朝、僕は朝食会場にその人の姿を探した。だが、宿泊客は我々の他に、老夫婦が一組、ライダージャケットを着た中年の男性が一人で、それらしき人はいなかった。宿の主人に尋ねてみると「昨日はそんな女性は泊まっていない」という。「狸か狐に化かされたんでねいか」と主人は大声で笑い飛ばした。嘘のような本当の話で、なんとも言えない気分のまま宿を後にした。
それから2ヶ月ほど経って、同じ宿を訪れた時のこと。主人から聞いたのは、その女性は、麓の旅館の若女将だったということ。若女将の宿は、主人から山菜や渓流魚など旬の幸を卸してもらっているようで、それを受け取りにきたついでに、お忍びで露天風呂に入ったそうだ。宿泊客ではなかったので、遠慮して洋服も見えない場所に隠していたらしい。
この話を聞いて、僕はなんとも言えない複雑な心境になった。ネタバレしたマジックショーを見せられたような感じだった。とはいえ、その後僕の定宿が麓に移ったのは、言うまでもない。(了)