
「人生を変える魔法の椅子」を生み出し続けるカリスマ作業療法士 野村寿子インタビュー
身体に障害がある人にとって、移動するときになくてはならない車椅子。だが、身体が自分の意思に逆らって思いもよらぬ動きをしてしまうために、その車椅子にさえ満足に乗れない人たちも少なくない。そんな障害を持つ人たちから、最期の駆け込み寺のように頼られている人が大阪にいる。その人の名は野村寿子。作業療法士として長いキャリアを持ち、一人ひとりの身体を採型して心身にやさしい福祉用具を製造販売する株式会社ピーエーエスの代表を務める彼女は、これまで1万件以上もの身体の不調を改善してきた。そんな彼女の作る椅子は「人生を変える魔法の椅子」とも呼ばれている。今回は、魔法の椅子を日々生み出し、多くの人に希望を与え続ける野村さんにこれまでの歩みと今後の展望について話を聞いた。
本日はよろしくお願いします。過去に放送された「一滴の向こう側」という番組で、車椅子に座っていた玲乃愛(れのあ)ちゃんに興味を持ちました。
野村さん 玲乃愛ちゃん! 懐かしいですね。もう20歳くらいでしょうか。最近、車椅子の調整をしていないのでどうしているか気になっていたのでご連絡してみようと思っているところです。彼女は私が作った車椅子を使い始めて2ヶ月で、歩行器を使って歩けるようになったんです。そして、滋賀県の県の陸上競技場で行われたチャリティーランで、歩行器で歩いてゴールテープを切って夢を叶えました。私も同行しましたが、表彰状とメダルをもらって嬉しそうな姿を見て私も嬉しくなりました。
私たちが当たり前だと思っている動作も、難しさを感じている人と一緒に過ごすと、当たり前ではないことに気づかされます。例えば、「座れない」から「座れる」ようにするにはどうすればいいか。それを考えることで、必要な体の支えや、逆に支えられていない部分が原因で姿勢が崩れていることなどが分かります。麻痺のある方でも、骨や筋肉の構造、数、配置は私たちと同じです。私たちは普段、無意識に体を使って疲れを溜めていますが、実はそれが疲れの原因になっていることが多いんです。
なるほど。
野村さん 今、記者さんは椅子の背もたれに支えられて座っていますよね。この支えがないと、背中を浮かせるために肋骨が前に落ちてきて苦しいはずです。それを避けるために背中を反らせると、今度は背中の筋肉に負担がかかります。このように、前後の筋肉のせめぎ合いが疲れの原因となるのです。
これは筋肉だけの問題ではありません。妊婦さんはお腹が大きいため、腰を反らせがちです。出産後は授乳のために頭を前にかがめる姿勢になります。実は、うつ病の方も頭を前にかがめる姿勢が多いんです。産後うつには様々な要因が考えられますが、私は作業療法士として姿勢と運動に着目しており、姿勢がうつに繋がるケースもあると考えています。
姿勢からうつになる、ということですか?
野村さん はい。頭が下を向いていると、明るいものが見えにくくなり、思考もネガティブになりがちです。しかし、弊社開発のPINTOクッションで気持ちが楽になったという方もいるんですよ。事業がうまくいかず、うつ状態だった方が、PINTOクッションに座ることで救われたと仰っていました。

PINTOクッションは座るだけで無理なく自然と正しい姿勢環境に導いてくれる。
PINTOクッションは、大阪の一部の小学校にも導入されているそうですね。
野村さん 子どもたちは硬い椅子に座って我慢を強いられています。勉強とは関係ない我慢なのに、それが当たり前だと思って無意識に耐えています。これは間違っていると思います。
障害のある方も、諦めていることが多いです。玲乃愛ちゃんも、座れないからできないと諦めていたことが、座れるようになったことで「できるかもしれない」と思えるようになったのです。諦めていた人が、私の作った椅子に座り「こんなに楽に座っていいの?」と感じることで、「これがやりたい」「こんなこともできるかも」と気づき始めます。やりたいことが増えて、人生が変わっていくのです。椅子が人生を変えたのではなく、椅子に座れたことで、やりたいことに気づいたのです。
番組で「魔法の椅子」と表現されていましたが、私は「魔法使いが作った椅子」だと思いました。わずか15分でどのように作るのですか?
野村さん 先日も、足が外側に開いてしまって車椅子での移動が困難なため、自宅のドアを広げたというお子さんがいました。私が触って型取りをしたところ、足が前を向いて座れるようになりました。型取りの時間はおっしゃる通り15分くらいでした。

昨年10月には東京ビッグサイトで開催された『H.C.R.2024 第51回国際福祉機器展 & フォーラム』にも出展。ブースには多くの来場者が詰めかけた。
番組では、脳梗塞で左手が上がらなかった20代の方も、野村さんが触れるだけで手が上がるようになっていました。なにかパワーを注入したんですか?
野村さん いえいえ、(記者の肩に触れながら)ここにも肩甲骨がありますよね。少し巻き肩になっています。鎖骨と肩甲骨、上腕骨の位置関係を調整するだけで……ほら、下がりましたよね?
本当だ!
野村さん こういうことです。こちらの腕も……ほら。本来あるべき位置に戻してあげるだけで、腕が楽に下がるのです。

野村さんが筋肉の位置を本来あるべき場所に少し調整して姿勢を整えるだけで、身体が楽になることが実感できる。
解剖学に基づいているのですか?
野村さん 解剖学と運動学です。「巻き肩だから仕方ない」「腰痛持ちだから」と諦めるのではなく、なぜそうなるのか、どうすれば改善するのかを見極めることが大切です。巻き肩は、腕が前に出て肩甲骨も前にずれていることが原因です。関節を正しく使って仕事をするようにすれば、巻き肩にならずに作業ができます。改善策は必ずあります。
それは、解剖学の専門家の仕事のように思えますが……
野村さん 医師だった父は、作業療法士になるよう勧めてくれました。医師は診察室で患者に説明しても、日常生活を変えることはできません。暮らしの中に専門性を活かせるのが作業療法士だと父は言っていました。「専門性は日常生活に活かしてこそ価値がある」と。

野村さんの父であり、自らも闘病しながら障害者の暮らしを支えるシステムの構築に尽力した中新井邦夫氏の生涯を描いたノンフィクション。医療分野のルポルタージュで知られる向井承子氏による著作。
『たたかいはいのち果てる日まで ー医師中新井邦夫の愛の実践』
向井承子 著
エンパワメント研究所 発行
(※1984年に新潮社より刊行された本の復刻版)
野村さん 父はリハビリの学校に入りたての私に最期に「子どもの作業療法は遊びなんだ」と伝えました。それは私にとって遺言のようなものです。高度な技術を学ぶことも重要ですが、私にとって父は偉大な先生です。だから、私は入職後、遊びを通してリハビリを始めました。
遊びを通してのリハビリとは、具体的にどのようなことをするのですか?
野村さん 雨上がりの水たまりで遊ぶ、溝や穴に手を入れる、ダンゴムシやカタツムリを探すなど、子どもたちが自然にやりたがる遊びを通して、片麻痺の子どもや重度の子どもが楽しめる方法を考えます。雨上がりの土の匂いなど、誰もが経験することを障害のある子どもにも経験させてあげたい。一見くだらないことでも、経験を通して発達に繋がると思っています。
1999年に『遊びを育てる』を出版されていますね。
野村さん はい。公立の通園施設で16年間働き、制度設計にも関わっていました。役所の役割は線を引いてサービスを提供することですが、私は障害のあるなしに関わらず、子どもたちにとって大切な遊びの経験を伝えたいと思っていました。線を引かずに「楽しいことはみんな一緒」ということを伝えたかったのです。

障害のある子どもたちの遊びへの援助について、具体的なヒントや実践的な世界像を提示した意欲作。
『増補新装版 遊びを育てる 出会いと動きがひらく子どもの世界』
野村寿子 著
那須里山舎 発行
(※1999年に刊行された旧版の増補新装版)
周囲の反対を押し切って教室を始めましたが、無料の療育がある時代に有料の教室は難しく、様々な苦労がありました。それでも「野村先生がいるから」と通ってくれる人もいましたし、絵画教室では自閉症の男の子が描く美しい絵と、私の娘の絵が共鳴し合うのを見て、大きな喜びを感じました。
同時に、椅子作りにも携わるようになり、これは教室、運動療法、これまでのスキルが全て活かせる仕事だと気づきました。しかし、慢性疲労症候群の持病もある私の体が限界を迎え、教室を閉鎖せざるを得ませんでした。、そんな辛い時期に息子が高校を卒業して、18歳でうちの会社に入ってくれたんです。いま36歳なんですが、ずっといっしょに働いています。
息子さんも、お母さんの姿を見て一緒に働こうと思ってくれたのですね。
野村さん 本当に感謝しています。娘も劇団四季を経て、今はヨガインストラクターとして活動した後入社し、PINTOの椅子を使った椅子ヨガを考案し、YouTubeなどでも発信しています。今は出産で産休中ですが、こうして子どもたちがそれぞれの形で関わってくれているのは幸せです。
父は「わかっててやらんやつは、わからんやつより悪い」と常々言っていました。娘は父の干支と同じ年に生まれているので、もしかしたら私を助ける使命を持って生まれてきてくれたのかもしれない、と思ったりします。
会社名「PAS」は、Perception and Action Space(知覚と行為の空間)の略です。みんなが気づき、行動し、元気になる場所を作りたいという思いを込めました。表参道にショールーム「P!NTO SEATING DESIGN」をオープンできたのは、本当に嬉しいです。車椅子ユーザーもそうでない人も訪れる、インクルーシブな空間になっています。

東京・表参道のショールーム「P!NTO SEATING DESIGN」で開かれる講習会には、姿勢に悩む多くの人たちが参加する。
野村さん 多くの方にこの椅子の存在、そしてここで魔法の椅子を作っている人がいることを知ってほしいです。
座れなかった人が座れるようになる、まさに魔法の椅子ですね。
野村さん 私が本当にやりたいことは、障害のある方から教えてもらったアイデアを活かして、誰もが明るく楽しく暮らせる社会を作ることです。ソファやクッションにも、骨や筋肉の仕組みを応用しています。座りものだけでなく、寝具や衣類、雑貨まで、人の暮らしを快適にするための製品開発をしています。
インテリアにも進出するそうですね。
野村さん はい。スヌーズレンという障害のある方のために作られたリラクセーション環境をインテリアとして表現した「センソリーインテリア」を大阪万博や名古屋のホテルで展開します。座り続ける人の快適さを追求してきた経験は、誰にも負けない自信があります。障害のある方のために開発されたものが、一般の人にも喜ばれる、そんな製品をこれからも作っていきたいです。
重要文化財「旧名古屋テレビ塔」内のスモールラグジュアリーホテルTHE TOWER HOTEL NAGOYAのスイートルームに導入された、感覚を整えるための新しいインテリア「センソリーインテリア」。
今後の展望について教えてください。
野村さん 誰もが笑顔で過ごせる平和な社会を実現するために、この椅子が役立てば嬉しいです。障害のある方から生まれたアイデアが世界を変える力になる。そういう平和のための仕事ができれば良いなぁと思います。今度三重県御浜町に快適な暮らしのモデルハウスになるような宿泊施設を作ろうと思っています。心地よさの集大成となる3棟のお宿を、誰もが快適に過ごせるようにデザインしたいと考えています。
ありがとうございました。
記者と野村さんとの出会いは昨年10月。東京ビッグサイトで開催された展示会で新作マットレスの取材を行ったのだが、ちょうどその頃は記者の父が「あとひと月はもたない」と余命宣告を受けたタイミングだった。横になるのも辛そうな父のために、展示会で紹介されていた野村さん監修のマットレス「RECOVER-LAY(リカバーレイ)」を導入したのだが、結局ひと月しか生きられないと言われた父は、それから半年近く生きながらえることができた。そんなこともあって、記者にとっての野村さんは“マットレス作りの神様”だったのだが、今回のインタビューにあたっていろいろと調べてみると、それだけでは収まらないほど数多くのものを生み出してきたことがわかった。そんな野村さんが新たに乗り出すインテリア、そして宿。これらがこれからどのくらい多くの人たちに幸せを与えてくれるのか、楽しみでならない。