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ふらりと気の向くままに平日散歩 <亀戸編> 歴史を感じながら街を歩く

亀戸天神とともに『名所江戸百景』に描かれている亀戸の梅屋敷。本所埋堀に住んでいた呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘で、「清香庵」と呼ばれ子孫の喜右衛門の頃には300株ほどを植え江戸中に噂が広まっていたそうだ。
庭園を訪れた水戸光圀はその梅の枝が龍のように地を這う様子をなぞらえて「臥龍梅」、鷹狩で訪れた八代将軍・徳川吉宗は「世継ぎの梅」と名づけたという。「清香庵」は安政の江戸地震で倒壊、明治43年の洪水による浸水で臥龍梅は枯れてしまったようだが、臥龍梅の様子は『城東区史稿 下[複製版]』に見ることができる。『広益国産考』によると、梅の実を梅干にして梅屋敷で売っていたようだ。『新編武蔵風土記稿』では梅屋敷の樹木が繁っている中に直径190cmの古井戸があり、これが村名の由来とされる。『再校江戸砂子校異』によれば昔からこの亀ヶ井の名前があり、そのために亀井戸、亀戸となったとも。昔、亀ヶ井という清水の湧き出た井戸があり、亀ヶ井のあった場所は亀戸天神とも梅屋敷ともいわれている。

梅屋敷跡の碑
かつての梅屋敷の敷地の中に位置する梅屋敷伏見稲荷神社。
かつて梅屋敷があった場所よりもっと街の中心に近い場所にある複合商業施設「梅屋敷」。観光案内や名産品販売、各種イベント開催など、江戸・下町情報を発信する観光スポットだ。限定品などを販売する「福亀館」、江戸切子ギャラリーや浮世絵サロン、多目的ホールなどがある。

梅屋敷跡 
江東区亀戸3-40、50~53付近
https://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/spot/97.html
亀戸梅屋敷
江東区亀戸4-18-8
https://kameido-umeyashiki.com/



昭和9年創業、老舗店の佐野味噌醤油店では「噌ムリエ」の資格を持つ味噌のプロが相談にのってくれる。毎月1日と15日には、「みその市」が行われる(店頭販売のみ)。本店奥の「味苑(あじえん)」は、こだわりの味噌と出汁の良さを知ってほしいとイートインで提供。

佐野味噌醤油店本店
佐野味噌店内。惣菜など商品が並ぶ。
江戸味噌を使用した味噌パン。

佐野味噌醤油店 亀戸本店
江東区亀戸1-35-8
12月31日まで休まず営業
https://sanomiso.com/

亀戸七福神は、昔は元旦から始めて1日に一か所まわるものといわれていたようだ。「江東おでかけ情報局」では、おすすめの七福神めぐりのコースを紹介している。

「江東おでかけ情報局」
https://koto-kanko.jp/theme/detail.php?id=TH00002

普門院 *毘沙門天
大永二年(1522)、武蔵国豊島郡石浜(荒川区)に創建と伝わる普門院。元和二年(1616)年に豊島郡橋場村から亀戸に移されたとのことで、その際に鐘が隅田川に沈んでしまい、鐘ヶ淵という地名の由来に(ほかに法元寺、長昌寺との説あり)。墓地には、歌人の伊藤左千夫や幕末の名横綱・秀ノ山雷五郎などの墓がある。弘法大師府内88か所の内40番札所。

普門院内毘沙門堂(亀戸七福神・毘沙門天)

普門院 
江東区亀戸3-43-3
https://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/spot/97.html


江東天祖神社(砂原神明宮) *亀戸七福神・福禄寿
江東天祖神社は、神社の由来書『天祖神社御由来略記(旧称砂原神明宮)』によると創建は推古天皇の時代、柳島村の総鎮守。『新編武蔵風土記稿』は、天正年間(1573~1592)に悪病が大流行し、織田信長が使いを送って奉幣し流鏑馬の行事を行わせると、霊験が顕れたと伝えられたとする。毎年9月16日に行われる「流鏑馬(現在はこども歩射)」は400年続く伝統行事。現社殿は昭和4年に日本最初の防災建築にて竣工、空襲では社殿のみが焼失をまぬがれ、都内では最古の防災社殿といわれる。

江東天祖神社
江東区亀戸3-38-35
http://www.tensojinja.com/

東覚寺 *亀戸七福神・弁財天
東覚寺の不動堂にある不動明王像は盗難・剣難除けの霊験があり、奈良東大寺の開山である良弁が相模大山寺を開基した後に自ら造ったものを渡されたという者の子孫である優婆塞(うばそく)が玄覚に与えたものという。明治34年に深川本町にあった覚王寺と合併、関東大震災、戦災と二度の罹災後、昭和26年~46年に本堂などを整備。平成24年に本堂・客殿等改修している。「御府内八十八ヶ所霊場」の73番目の札所。

東覚寺
江東区亀戸4-24-1

常光寺 *亀戸七福神・寿老人
江戸における3つの六阿弥陀詣のうちのひとつ「武州六阿弥陀参」の6番目の霊場。寺伝によれば、草創を行基とし、中興開山は勝庵(天文十三[1544〕年没)という。本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられている。霊夢によりお告げを受けた足立庄司従二位宰相藤原正成(あだちしょうじじゅうにいさいしょうふじわらのまさしげ)が、行基に霊木で六体の阿弥陀仏を彫ってもらい愛娘とその侍女を弔ったという悲しい縁起が涙を誘う。『新編武蔵風土記稿』では「本尊弥陀、行基の作にして長六寸許。脇立に観音勢至を安ず。これは六阿弥陀第六番にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多し。縁起あれど、世の知る所にして外に事実かはらざれば略す。」と記述。

常光寺
江東区亀戸4-48-3
http://joukou.sakura.ne.jp/


横十間川沿いの道にある亀戸銭座跡。芝網縄平(港区)にあったものを亀戸へ移行、寛文3年(1663)から天和3年(1683)まで、亀戸2丁目のUR都市機構団地のある付近で寛永通宝が造られ「亀戸銭座」と称した。亀戸銭座で作られたのもは、文の文字または十一波、二十一波のものがあり、文銭または波銭という。

亀戸銭座跡 
江東区亀戸2-6


「ふらりと気の向くままに平日散歩 <亀戸編> 喫茶店やベーカリー、商店街を歩く」はこちら
south65.jp/20201203kameido/

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