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福知山、綾部、舞鶴 もうひとつの京都で明智光秀ゆかりの地を巡る

福知山光秀ミュージアム

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に合わせ、福知山城公園内の佐藤太清記念美術館2階に設置された「福知山光秀ミュージアム」。来年(令和3)1月11日までの開催。

さて、ここからが観光らしい観光のスタート。最初に訪れたのは、福知山城公園の佐藤太清記念美術館内で今年1月にオープンした「福知山光秀ミュージアム」。「麒麟がくる」大河ドラマ企画展に加え、ドラマで時代考証を担当した小和田哲男氏監修の「明智光秀の生涯と丹波・福知山」など光秀ゆかりの品々や資料が展示され、コロナ禍にも関わらず多くの人たちが来場していた。

入り口では「麒麟がくる」のパネルがお出迎え。

現存する重要資料の数々も展示されている。

福知山光秀ミュージアム
京都府福知山市岡ノ32-64 福知山城公園内 佐藤太清記念美術館
TEL/0773-22-1010
city.fukuchiyama.lg.jp/site/mitsuhidemuseum/

福知山城

福知山城を築城した初代城主・明智光秀は娘婿の明智秀満を城代として入れ、地子銭の免除や治水事業などの善政を行った。

丹波平定を信長に命じられた光秀が、西国攻略に向けた拠点として1579(天正7)年に築城した福知山城。丹波エリアにおける光秀伝説のシンボルともいえる存在だ。同じ敷地内の福知山光秀ミュージアムから坂を登っていくと、甲冑に身を包んだ武者たちがお出迎え。話しかけると気さくに受け応えしてくれる武者たちと記念撮影した後は、城内や石垣などを見学。所々に灯籠などが見え隠れする野面積みの石垣は思った以上に頑丈で、築城からこれまで倒壊したことがないとか。

未加工の自然石が積み上げられた天守閣の石垣は「野面(のづら)積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法。五輪塔や石仏、灯籠などの石造物も石材として大量に利用され、これらは転用石と呼ばれている。石垣の表面をよく見ると、転用石の姿が確認できる。

本丸に残る井戸「豊磐井(とよいわい)」。井戸の深さは50mで、これは城郭本丸内の井戸としては日本一。

福知山城公園
京都府福知山市内記1
TEL/0773-23-9564
city.fukuchiyama.lg.jp/soshiki/7/2014.html

御霊神社

明智光秀の霊が祀られている御霊神社。

大河ドラマで印象がよくなったとはいえ、やはり光秀に対する世間のイメージは謀反人。しかし、ここ福知山での光秀の評価は全然違って良君なのだ。というのも光秀がこの地の礎を築いてくれたから。「光秀公のおかげで城下町として発展できた、ありがたや〜」というわけだ。史実によれば、それは本能寺の変のわずか3年ほど前のこと。民にとっては光秀は謀反人と聞かされても納得いかず「我らが良君が謀反人などありえない、冤罪だ〜!」と騒ぎ、この神社で光秀を祀るようになったという。

案内板によると、ここで光秀の霊を祀り始めたのは1737(元文2)年、朽木稙昌の統治時代のこと。神社前の御霊公園では毎年10月に「丹波福知山御霊まつり」が開催され、多くの人で賑わう。

実はパワースポットとしても人気の御霊神社。とくに境内にある「叶石」は願いを叶えてくれると話題になっている。ここで願掛けする時は、欲張らずにひとつだけ。ふたつ以上だと、すべて脚下されるらしい。

御霊神社
京都府福知山市中ノ238
TEL/0773-22-2255
kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/19/057/

天寧寺

国の重要文化財「絹本著色十六羅漢像」「絹本著色即休契了像」などが伝わる、福知山市を代表する古刹・天寧寺。足利氏との縁も深い。

辺りを豊かな緑に囲まれた臨済宗妙心寺派の寺院・天寧寺。お堂に入ると、その天井一面に描かれた巨大な龍の画に驚かされる。ただ大きいだけではなく、正円の中でトグロを巻くように描かれているその姿がやけに生々しくて怖いほど。そんな龍に見下ろされながら住職に見せていただいたのが、光秀と秀満(左馬助)が書いた書状(のレプリカ)。その内容は「この寺は陣地にしてはならぬ、竹木も切ってはならぬと」というもので、光秀にとってこの寺は特別なものだったことがわかる。

京都の著名な画家・原在中氏によって描かれた巨大な雲龍の天井画は迫力満点。今にも天井から龍が降りてきそうな不思議な気持ちにさせてくれる。

光秀の書状(レプリカ)と、住職の石角彰啓さん。

天寧寺
京都府福知山市字大呂1474
TEL/0773-33-3448
yakushi49.jp/27tenneiji/

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